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タイのバンコクでバナナを食べてニューヨークを思い出す
配信日時:2014年9月20日 9時15分 [ ID:1001]

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バナナ1房30バーツ(約90円)。

 2014年9月18日、知り合いのバンコク在住の日本人女性に「最近お金がなくて生活が苦しいんだよね」と話すと、「タイ人並みの生活をして凌ぐしかないね」と返された。

 てめーはバカなのか、それともアホなのか! と激しい憤りを感じた。一口に「タイ人並みの生活」といってもピンキリで、ピンのほうは毎日ベンツを乗りまわしてキャビアだのフォアグラだのを食べまくっているということを知らないのだろうか。

 まあ、彼女の言いたいことはわからないでもない。毎日3食の食事を1食30バーツ(約90円)程度の屋台のタイ飯に切り替えればいいということなのだろう。毎日、寿司だのフレンチだのばかり食べて1食300バーツ(約900円)以上かけている彼女からすれば、それはたしかに大きな生活費の削減になるのかもしれない。

 しかし、僕はそういうレベルでお金に困っているのではないのだ。1日1食、屋台のタイ飯を食べるお金すらままならないというレベルでお金に困っているんだよ! 上から目線で言ってくれてんじゃねーぞ、コラ!! 

 筆者の仕事は収入がひどく不安定なので、このような経済的窮地に立たされるのは日常茶飯事である。こんなとき、日本だったら日雇いのアルバイトでもやってすぐにお金をもらうこともできるのだが、タイではそれができない。お金を貸してくれるところもない。天を仰いで「あはははは」と笑うしかないのである。

 とりあえず、筆者は路上の果物の屋台で1房30バーツ(約90円)のバナナを買った。15本もあるので、1日3食の食事を毎回バナナ1本にすれば5日も持つ計算になる。ありがたい。

 しかも、バナナはただ安いだけではなく、タンパク質、脂質、ナトリウムなどの栄養素を豊富に含んでいるのだから、さらにありがたい。おそらく、昭和30年代の子供よりも筆者のほうがバナナをありがたがっているのではないか。

 しかし、こうしてバナナを食べていると、ニューヨークに留学していた頃のことが思い出される。あの頃もお金がなかった。日本にいる母に仕送りを送金してもらうことになっていたのだが、ニューヨークへの送金方法がわからないなんて言うのである。

 1本25セントのバナナを1日1本だけ食べて飢えを凌いだ。やがてそのお金さえも尽きて完全な絶食状態へと入った。水道水しか飲めない日々が続いた。空腹感は絶食3日目あたりから麻痺していた。

 フラフラの体でタイムズ・スクエアの華やかな通りを歩いた。路上に潰れたトマトが落ちているのを見つけ、その前を何度も往復した。それを拾って食べようか本気で悩んだのである。ギリギリのところで人間としてのプライドが勝った。

 道端に座り込み、日清カップヌードルの大きな看板を羨望の眼差しで見上げた。あのカップヌードルをズルズルッと啜ることができたらどんなに幸せだろうかと思った。

 パカパカッと馬の蹄の音が聞こえた。騎馬警官だった。やっぱニューヨークの警官はかっこええよなー、とぼんやり眺めていると、筆者のほうに近づいてくる。

 そして「おい、そこに座るな!」と大声で言う。筆者は「オー、アイム・ソーリー」と腰を上げて、安アパートにスゴスゴと撤退した。

 絶食5日目あたりから、このままでは自分は本当に餓死してしまうのではないかという危機感を感じるようになった。なんでもいいから口にしなくてはならないと思った。そこで筆者はルーズリーフを食べることにした。よく揉んで柔らかくしてから口の中に放り込んだ。が、舌の上に広がるケミカルで毒々しい味にすぐにオエッと吐き出してしまった。

 絶食7日目にようやく日本の母から国際郵便小切手が届いたときは、本当に泣きたいくらい嬉しかった。これで生きられると思った。

 早速、郵便局で現金に換えた。外に出ると、紙コップを持った物乞いのおっさんが近づいてきたので、10ドル札を与えた。おっさんが「ゴッド・ブレス・ユー(神の祝福を)」と言うので、筆者も「ゴッド・ブレス・ユー・トゥー」と返した。

 そしてまず向かったのはステーキハウス。肉汁の滴るTボーンステーキを貪り食ってやろうと思ったのだ。が、ほんの一切れ程度しか喉を通らなかった。7日間もなにも食べていなかったせいで胃が縮こまってしまっていたのである。結局、その日まともに食べることができたのはバナナだけだった。

 バナナを食べられる。それだけで本当にありがたい。あの頃は、お金はなかったけれど、悲壮感なんてものは少しもなかった。心に大きな夢があったから。

 今だって同じじゃないか。仕事がない。お金もない。女もいない。けれども、心には大きな夢がある。筆者の夢を少しも理解してくれないタイ人の嫁と別れ、ようやく自分の本当の人生を、自分の夢を取り戻すことができたような気がする。

 1日1本のバナナと夢さえあれば筆者は生きていける。

【執筆:小林ていじ】

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